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【読書録】「ニューロダイバーシティの教科書」を読んでの個人的感想

diversity

違和感に名前がついた

「ニューロダイバーシティ」とは日本語だと脳の多様性、神経多様性と訳されます。

人間の脳とは多様であるという概念ですね。

個人的にですが、「ニューロダイバーシティ」という言葉を知ったときは感動しました。

自分が感じていた「違和感のようなもの」に名前がついたような気がしたんです。

ずっと子供の頃から、他の人々と何かが違うということは感じていたのですが、

その違和感に対しては大人になってから「発達障害」という言葉を与えられて納得はしたんです。

だから苦しい思いをしたのか、生きづらさを感じていたのかと…。

でも、人間は本来一人一人違うはず。

なのになぜ自分は「障害」になってしまうのか?

それは「障害になってしまう文化・社会」が関係しているのではないか?

そもそもお互いの思う「当たり前という文化・社会の捉え方」が違うのでは?と思ってたんですね。

その解決の1つのアイディアとして「ニューロダイバーシティ」が現れたような気がするのです。

未知との遭遇??

私は小さいころ、周りの人間はみんな人間のふりをしている宇宙人だと思っていたんですね。

なぜなら、同じ言葉を話しているのに、むしろ、

同じ言葉を話していてどうしてこんなに自分の常識が通じないのだろう?

と不思議だったんです。

(実際は社会の常識が私には通じていなかったわけなんですが)

それで、私はこの世界の住人は人間のふりをしている宇宙人なんだ、

だから、通じ合わないのが当たり前なんだ、と思い込んでいました。

(この点については病的な側面があるかもしれませんが)

しかし、ニューロダイバーシティという視点を持つと、

個人的にですが、そう思い込んでしまった理由がわかる気がするのです。

私が想像する「世界観」と相手の持っている「世界観」が違うからだと思うんです。

その目に見えない「世界観」はとても重要で、自分を形作っているものなのに、

その「世界観」は他の人の中には無いってことですからね。

つまり、お互いに「当たり前の常識は通用しない」ということです。

具体的な違いとは?

これは目に見えるものもあれば、目には見えないものもあるのかなと思ってます。

分かりづらい表現かもしれませんが、例えるなら、

大多数の人が思う越えたらダメなラインみたいなものがあって

どうやら自分はそのラインを越えているんだけれど、

私にはそのライン自体が見えていない、そんな感じなのです。

逆もしかりですが。

その具体的な違いをみんなが理解できるなら多様性も理解されるんでしょうけど、

それがお互いにわからないから多様性を尊重する社会へ向かう難しさになっているんでしょうね。

だからといって、わからないから排除するという方向は違うと思うのです。

毎日が「異文化交流会」

多数派、少数派、どちらかに問題があるという視点で話を進めると

少数派が多数派に合わせていかなくてはならなくなります。

そうではなくて、みんな違うという視点から話を進める必要があると思います。

全員が同じ価値観や同じルールで暮らすならアリでしょうけど、

みんなそれぞれが全く違う文化、風習、価値観で生きています。

例えば、独自の文化圏の人や異文化の人が一緒に暮らそうとしたら

当たり前ですが、問題が起きるし、すり合わせるのに一苦労すると思います。

でも、だからといって文化圏の違う人に「お前は病気だ」なんて言わないですよね?

そもそもの風習や文化が違うのですから。

今の社会は、私(発達障害当事者)からすれば、毎日が「異文化交流会」みたいなものです。

毎日はさすがにキツイと思いませんか?

それを生まれた時から24時間365日ずっとやってるわけです。

しかも、「お前がおかしい」と言われながらです。

本来はお互いの風習や文化や価値観が違うだけだと思うんです。

見えている「世界」はひとりひとり違う

考えてみると、相手が予想していたものと全然違うものを出してくる人って恐怖ですよね。

人間ってわけのわからないものに恐怖とか嫌な感情を抱きがちだと思うんですね。

おそらくですが、私は普通に話をしているつもりでも、

相手からすれば聞いてないことを話されたり、的外れな回答が返ってくるわけですから、

相手にしてみれば、恐怖や嫌な感情を抱くことになります。

逆もそうで、私の価値観と違うことを世の中の人々がしているということがいつも恐怖でした。

お互いにそもそも見えている「世界」が違うんですね。

しかしそれは当事者だけでなくすべての人の数だけ「世界」があると思うんです。

それ自体は決してだめなことじゃなくて、それこそが脳の多様性なんだと思うんです。

社会システムの変化

これからの世の中はいずれは「ニューロダイバーシティ」を目指していくのかなと思います。

というより、そうなって欲しいと私個人は願っています。

会社でも組織でもそうですが、なにかをないがしろにするようなことをすれば

その時はなんとかなっても結局は永く繁栄していくことが難しいように、

誰かをないがしろにする社会システムはいずれ継続が難しくなると思います。

そういう意味でも世の中が多様性を尊重する社会に向かっていくのは良い事だと思うんですね。

ニューロダイバーシティという共通認識

すべての人の数だけ「文化」があって、みんなが「異なる文化」を持っていることが、

みんなの「共通認識」になって、そのうえで社会の仕組みが作られていけば、

みんなが生きやすい世の中になっていくんじゃないかと思います。

だれもが異なる文化を持つということは、いつ自分が、もしくは自分の家族が

少数派になる可能性だってあるわけです。

その時に少数派の人が暮らしにくい世の中だったとしたら?

自分が多数派だと信じて疑わない前提が崩れることだってあり得ますよね。

そんな時に誰もが暮らしやすい生きやすい世の中になっていてほしいですし、

そのためにももっとこのニューロダイバーシティという概念が広がってほしいと思っています。

まとめ

この本を読んで、当事者としてもまだまだ理解しきれていないことがあって

また、当事者だからと決めつけていたことにも気づいたというのもあり、

ニューロダイバーシティというのは奥が深い概念なんだなと思いました。

でも、なにか未来を感じる言葉だなと思ったので、

多くの人に知ってほしい概念だと思いました。

自分の目の前にいる人が、他人はもちろんのこと、たとえ家族だとしても

当たり前なのですが、異なる文化を持つ人だと認識すると見え方が変わりますよね。

まずは人間の脳は多様であること、人の数だけ異なる文化を持っていることを

認識することが大事かなと思いました。


ニューロダイバーシティの教科書

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