ふと思い出したので。
子供の頃、祖父から戦争の話を聞きました。
祖父は尋常小学校を卒業してから(現在の小学校とは違います)
12歳で丁稚奉公で建具屋の仕事をしていたそうです。
建具屋とは障子や襖、窓枠などを作る仕事です。
第二次世界大戦の時、祖父は20歳前後だったそうですが、
小さいころから体が弱かった祖父は、兵役を免除されていました。
戦時中も建具の仕事をしており、
建具の材料の木材を車で運んだりしていたそうです。
しかし、戦況が激化し日本の敗戦が近くなってくると
兵役を免除されていた人にも召集令状の赤紙が届くようになったそうです。
そして、祖父の元へも赤紙が届いてしまいました。
祖父はとある隊に所属することになったそうです。
その隊とは特攻隊でした。
特攻が開始されれば敵艦に生身で突っ込んでいきます。
しかし偶然にも、その隊の隊長が、
祖父と同じ地区出身で、
祖父が子供の頃に遊んでくれたこともある人だったのです。
隊長は事前に特攻することを知っていたので
なんとか祖父を外してくれるよう上に頼んでくれたそうです。
同郷ということで「せめて祖父だけでも死なせたくない」とおっしゃっていたそうです。
祖父は車の運転が出来たので、(当時は珍しかったそうです)
他の仕事に回してもらえるように手を尽くしてくれたそうです。
特攻に行く前日、ギリギリのところで祖父は特攻隊を外してもらうことができました。
「もし、その隊長がいなかったら自分は死んでいた」と
祖父は涙ながらに私に語ってくれました。
祖父は戦争に必要な物資を運んでいる最中の車の中で、
玉音放送を聞き、日本の敗戦を知ったそうです。
祖父が語ってくれたことを残したいと思い、
うろ覚えながら書いてみた次第です。
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