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おばさんの居場所

うつ

こんにちは、ともです。

はたと気づいてしまったのですが、

この世の中におばさんが安心していられる場所って

どこなんでしょうかね?

もしかしてないんじゃないの?と思ったのです。

私も気づけば43歳。

来年は44歳です。(あたりまえですが。)

りっぱなおばさんなわけですよ。

(おばさんで、しかも、精神疾患もあるという…汗)

いや、おばさん批判ではなく、世のおばさんに対してでもなく、

自分が自分でおばさんだったという意味です。

と、色々と言ってますが、

とにかく、ふと、思ったんです。

おばさんが居られる場所ってあるのかなぁ?と。

家は、まぁいいとして。(家にも居場所がないということもあるかもですが)

家の外での居場所です。

働いていれば職場があるからいいですけど、

働いてない場合の居場所ってどこなんですかね?

(働いてない人を否定するわけでは無く自分が、です)

スーパーで買い物するか、

イオンのフードコートくらいしか行くとこないですよね。

でも、イオンのフードコートは、

すでにもうおじさんとおばさんでいっぱいなんですよね。

(人が多いところは苦手です)

スーパー銭湯とか行けばいいんでしょうが、

お金かかりますし、

カーブスとかもめんどくさそうです。

公園とかも思ったんですが、

なんか公園に一人でいるおばさんってどうなんでしょう?

自意識過剰ですかね?

カフェとかおしゃれすぎるし、お金かかるし、

そもそも外食恐怖症だし、でも椅子に座りたいし。

そうやってどんどんひきこもりになっていくんですね。

ウォーキングとかしたらいいのでしょうか?

でも、ウォーキングって、

いかにもウォーキングしてますという恰好しないといけない感じが、

面倒ですよね。(そんな決まりないですが)

でも、普通に手ぶらで歩くおばさんって

どうですか?(どうですかもなにもないですが)

ウォーキンググッズが必要だったりするのかなと思うと、

なにするにも面倒ですね。

友達がいないので、

ファミレスのドリンクバーのみで長時間のおしゃべりすらできない。

しかし、そこで考えてみたんですが、

もしかしてこれって私だけじゃないのでは?と。

老後なんてみんな同じように身の置き場に困ってるんじゃないかな?と。

だから、イオンのフードコートも、ゲームセンターも

おじさんとおばさんで埋め尽くされてるんでしょうね。

ある程度のお金と時間に余裕のあるおじさんとおばさんは、

打ちっぱなしやカーブスやスーパー銭湯に行くのですかね?

お友達の多いおじさんとおばさんはファミレスやコメダ珈琲とかに行って

長時間おしゃべりするんでしょうか?

全部、私の妄想ですが。

老後に向けて今から自分の居場所作りというのが必要なのかもしれませんね。

でも、どうやって作るんでしょう?

居場所って作ろう作ろうと焦れば焦るほど、

砂漠におけるオアシスの蜃気楼のごとく幻となって消えてしまうんですよ。

むしろ居場所なんてものはない、と腹をくくった方がいいのかも、

なんて思ったりもするのです。

昔、家族にこんなことを言われたことがあります。

自分の居場所とは、誰の居場所も奪わないこと、

もしくは、誰かの居場所になること、だと。

自分の居場所が無い、とか、

自分の居場所が欲しい、とか

言ってるうちは居場所なんてものはできないのかもしれないですね。

私はまだまだ修行が足りないようです。

ウォーキンググッズがどうやら、椅子に座りたいだの、面倒がどうやらと文句ばかり。

これじゃあ居場所が逃げていきますよね。

公園に一人でも手ぶらで歩くでもいいはずなのに。

どこかで自分の孤立を受け入れられてないんですよね。

だから周囲の目を気にしているのです。

自分ちっちゃい、ちっちゃすぎる。

そう考えてみると、家があるだけありがたいことなのではと思えてきて、

おばさんの居場所だなんて、どの口が言ってるんだと思えてきました。

そんなことを考えていた時に、それは起きました。

大層なことじゃないんです。子供が風邪をひいたのです。

しかし、子供が風邪をひくとあちこち連絡をしなければいけません。

学校はもちろん、いつも一緒に通学しているお友達のママ、自分の通っているB型作業所、

お休みの連絡の電話やラインやメールをして、

お友達のママからは、お大事にと優しく返信を頂き、ひとまず任務完了です。

子供を病院に連れて行ってインフルでもなくコロナでもなく薬も飲ませてホッとしていた時、

夕方になり私の電話が鳴りました。

学校からとB型作業所からでした。

どちらも体調はどうですか?と心配してくださり、

気にせずゆっくり休んで(休ませてあげて)くださいね、待ってますよと言うのです。

これが相手の仕事だとはわかってます。

わかってますが、この電話に社会とのつながりを感じたのです。

それは細い細いつながりかもしれません。

でも、子供にも自分にも所属している場所があったのだなぁと改めて思ったのです。

ほんのちょっと前までおばさんの居場所がなんだかんだと言っていたのに、

電話一本でありがたく感じてしまう自分。

舌の根も乾かぬうちにと思いますが、

なんでしょうね、いつもは当たり前に思ってなんとも思ってなくても

こうしたちょっとの変化で世界の見え方が違うというのは。

そして、この心遣いが相手に居場所を与えるということなんですね、きっと。

私は知らず知らずのうちに与えられていたのです。

なんというか、気づかされました。

またもや、反省です。

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