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普通になりたい

diversity

こんにちは、ともです。

私の子供の頃の目標は「普通になること」でした。

普通ではない、という自覚があったんですね。

普通になることを切に願っていましたし、

いつか、がんばっていれば普通になれると思っていたんです。

そのためにやれることはやろうと必死でした。

しかし、発達障害と診断されたことで、

ホッとしたのですが、同時に

普通というものが願っても手に入らない、とわかったわけです。

普通になれないと知って落ち込んだりもしましたが、

それも、年齢を重ねるにつれて考えが変わってきました。

というよりも、普通ってなんだろう?と

考えるようになったんですね。

そもそも、この世にまったく同じ人間はいないので、

「普通の人」は、存在しないんですよね。

そう考えると、目指すだけムダなのでは?と思い始めました。

努力のすべてがムダになるわけではないですが、

少なくとも「普通になるための努力」は必要ないのかなと

思ったのです。

人間には多様なバリエーションがあります。

その中に自分のようなのがいてもいいのかな、

なんて思ったりします。

人間の尊厳とはなんぞやという話なんですが、

存在するだけでなにかしらの意味があるのではと。

ぼやっとした話になりましたが、

要するに「普通」にならなくても

そのままでいいというお話でした。

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