こんにちは、ともです。
最近、様々な人の生活の本を読んでいて思ったのですが、
隠居していたり、経済社会から脱却していたり、
昔ながらの自給自足の生活をしていたり、
FIREしていたり、
様々なアプローチで世俗から離れた生活をしていたり、
特にミニマムで低コストでシンプルな生活をする人と、
ひきこもりって何が違うのか?と疑問に思ったのです。
実際のところ、人間の生活自体は誰もがそんなに変わらないんですよね。
食事して、時々読書や散歩くらいして、風呂に入って寝る。
若干の違いはあれど、基本的なことはそんなところでしょうね。
何が違うのか考えると、
周囲(家族などetc.)の扱い方と、本人の気持ちによるところかなと。
まず、学校に行かないこと(働かないこと)を
ものすごい罪人のように扱われるのは影響しますよね。
おそらく将来への不安感からそうなるのかもしれませんが、
何もしてないことはダメな事という概念でもって、責めるのは良くないですね。
実際はダメじゃないんですよ。
人はただ存在しているだけでいいのだと私は思うのです。
そもそも何をもって、何もしてないことになるのかも明確ではないですよね。
それなのに、まるで罪人か非国民かのような扱いをされて、
頭からダメだという風に扱われたら、
誰だって罪悪感を抱えてしまいます。
そして、人より劣っているのでは?という劣等感で自分を責めてしまったり、
周りは働いているのに(学校に行ってるのに)自分はできてないと惨めな気持ちになります。
社会から脱落してしまった、という孤立、孤独感もあるでしょう。
それらが複合して、鬱状態になります。
鬱状態で暮らしているので、
心の持ちようが違ってくるのは当たり前ですよね。
精神的に追い込まれてるので、鬱状態になり、ひきこもりになるという流れですね。
精神的に追い込まれなかったら、もしくはまるで罪人や非国民のように責められなかったら、
ひきこもりにはならないんじゃないか?と思いました。
(もしくは、鬱状態で何もできなくなり、責められて精神的に追い込まれ、ひきこもりという流れもありますね)
そもそも人の暮らしなんてたいしたことは何もしてなくて、
普通に暮らしていれば普通なんです。
普通に暮らさせてもらえないから、ひきこもりになってるんですよね。
これは、本人がしたくてそうしているのではなく、
周りからそういう暮らしを強制的にさせられているともいえます。
普通に暮らさせてもらえたら、ひきこもりにはならないということです。
厳密に言えば、ちょっとニュアンスが違うかもしれませんが、
本人が自分なりに暮らしてまぁまぁ納得していれば、それでいいのでは?ということです。
つまり、ひきこもりという状況を、
周囲の人が知らず知らずに生み出してるんですね。
もしくは、本人が精神的に追い込まれて鬱状態になったことで、
暮らしが苦しいもの、つらいものになってしまっていると、ひきこもりになるわけです。
鬱じゃない状態であれば精神的な強いつらさや苦しさはまず無いので、普通です。
だったら周囲のことなど気にせずに暮らせばいいのでは?と思いますよね。
ですが、鬱の状態の時というのは、周囲の影響をモロに受けてしまうのです。
つまり、そもそも鬱にさせないことが重要なんですね。(責められることなく生活することが重要)
周囲の影響を受けずに鬱にならずに自分で納得したまぁまぁの生活をしていれば、
それはもう、ひきこもりとは言わないのでは?と。
おそらくそれは違う呼び名になるのだと思います。
そもそもで言えば、歳を取ればだれでも生活なんてミニマムなものになります。
そんなに食えなくなるし、動けなくなるし。
(中には生涯現役という珍しい人もいるかもですが)
でも、働かざる者食うべからずなんて誰も責めませんよね?
なぜひきこもりの人だけ責められるのかよくわかりません。
人を責めるようなことをすれば、
巡り巡ってブーメランのように自分に返ってくるものです。
いつかそういう立場に自分だってなるかもしれないのです。
寛容さって大事だなと思います。
ひいては自分の身を助けることになるからです。
寛容さは人のためじゃないんですね、自分のためなんです。
自分のために人に寛容になるということですね。
同じ人間同士ですからもう少し寛容になれたらいいなと、
自分もまた、人への寛容さが足りないなと反省しつつ、
私の経験上ですが、ひきこもりについてそんなことを考えました。
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