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【不登校経験談】おじいさんとの思い出

パニック障害

不登校

私が不登校になったのは小学5年生の時です。

朝になると起き上がれないし、

家を出ようとするだけで具合が悪くなる、

そんな私に両親が「甘えてる」「怠けだ」と言い、

無理やり部屋から引きずり出したり

怒鳴り散らしたり、とにかく学校に行け、

金をドブに捨てる気か、と言うのでした。

そういった状況だったので両親との関係は悪く

私はますます人間不信に陥り、

部屋に閉じこもるようになってしまったのです。

祖父の言葉

いつも父が母に「お前が甘やかして育てるからこうなったんだ」と言い、

母は私に「仮病だ、怠けてる」と言い、責めるのでした。

そうして二人に責められるうちに、

自分でも自分はそういう人間なんだと思い込んでいきました。

そんなある日、祖父が家にやってきました。

私の事で両親と話し合いをしにきたのです。

私は三人の会話にそっと聞き耳を立てていました。

すると、祖父の声が居間から聞こえてきました。

「ともは心の病気だと思う。病院に連れて行った方がいい」

その言葉を聞いてはじめて、

自分が怠けや甘えではなく心の病気だと知ったのです。

祖父の言葉に思いをめぐらせていると

父の激しい怒鳴り声がしました。

「うちの子を病気にする気か!精神病院なんかに行ったら二度と出られないんだぞ!」

驚いて見に行くと父が祖父を追い出しているところでした。

私は慌てて部屋に戻り恐怖で布団にくるまって怯えて震えていました。

大丈夫

そんなことがあっても祖父は、両親が仕事でいない時に

私に会いに来てくれるようになったのです。

ですが、最初は祖父の事も信じられず玄関すら開けられなかったのです。

しかし、祖父は根気強く通い続けてくれて、いつも

「おじいさんだよ、ともにひどい事は絶対しないから大丈夫だから開けて」

と、優しく語りかけつづけてくれたのです。

それまで私は怒鳴られる事が多かったので

本当だろうか?信じていいのだろうか?と

おそるおそる玄関を開けました。

祖父は言った通りひどいことはせず

「大丈夫だから。ともには気晴らしが必要だからおじいさんとドライブに行こう」

と言ってくれたのです。

心配

それからというもの、祖父は時々やってきては私を釣りに連れて行ってくれたり

なにかと気にかけて外に連れ出してくれたのでした。

そんなある日、「しばらく来られなくなるかもしれない」と言われました。

私はびっくりして「どうして?」と聞きました。

すると、「ちょっと具合が悪いからしばらく運転が出来ない」と言うのです。

運転が出来ないなんてよっぽど悪いんじゃないだろうか?と私は心配になりました。

決意

それからしばらくして祖父が大腸がんを患ったことを知りました。

祖父は治療のため入院することになり、私はお見舞いに行きたいと思いました。

当時私はパニック障害があり、一人での外出が困難でした。

けれど、祖父のお見舞いをどうしてもしたくて

外に出てみる決意をしました。

最初は玄関を開けることすら困難でしたが、

少しずつ行ける範囲が広がってきて

どうにか病院までたどり着けるようになったのです。

現在

祖父が亡くなってからだいぶ経ちますが、

今の私がなんとか生きて生活できているのは

あの時の祖父のおかげなのだと思うのです。

今では心の病気ではなく脳の機能によるものとわかりましたが、

当時は「心の病気」と口に出すことすら世間体を気にする時代だったので

きっと祖父は勇気を出して両親に言いに来てくれたのだと思います。

子供だった自分にはそれがどれほどの事だったのか

わからなかったのが今となっては悔やまれます。

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