google.com, pub-1288651214566933, DIRECT, f08c47fec0942fa0

家族観の再構築

diversity

こんにちは、ともです。

つくづく親子というのは、

個人と個人だと思わずにはいられないです。

私は自分自身も子供を育ててますし、

かつては子供の立場でしたから、

親の未熟さ、ということを痛感します。

親と言えども人間なので未熟なんですよね。

そのうえ、子供と言えども一個人なので、

一個人である人間を育てるというのは、

未熟であるがゆえに距離感を間違えることもあるわけです。

距離感はむずかしいですね。

近すぎても遠すぎてもダメで、

お互いの程よい距離感とは、時間をかけて作っていき、

気の遠くなるような微調整を重ねた上に成り立つんですよね。

ヤマアラシのジレンマというか、

ヤマアラシは近づこうとすると、

お互いのトゲで傷ついてしまうといいますし、

親子関係、家族関係はどうしても近くなりがちで、

そうすると、未熟さゆえに傷つけあってしまうんですよね。

では、成熟した人間になればいいのかと思ったのですが、

そう簡単には成熟するわけもなく、

そもそも成熟した人間なんてこの世にいるのか疑問です。

人間である以上は成熟なんてないのでは?とも思います。

人間というのはいくつになっても未熟なんでしょうね。

年齢を重ねたからと言って成熟するとは限りません。

自分の親を見ていてもそう思います。

ということは、自分も結局一緒で、

未熟なまま年を取るんでしょう。

未熟なら未熟でいいと思うんです。

自分のやれることをやれる範囲でやる。

未熟さを自覚していれば、それだけでいいのだと思います。

そもそも、子だとか親だとか関係なく、

互いに自立して生きるということですね。

この自立というのが大事なんでしょうね。

家族は支えあわなくてはいけないと思われがちで、

絆や縁とか言われがちですが、

支えあわないといけない決まりはないんですよね。

助け合い支えあえればそれに越したことはないのですが、

義務になってしまうのは違いますよね。

義務になるとお互いに息苦しくなります。

なぜ義務的になってしまうかというと、おそらく儒教の影響とか、

日本特有の道徳観から生まれたものなのかもしれませんね。

私の親はよく「家族の縁は切れない」と言いますが、

たぶん、戦前戦後の混乱期に生まれ、

幼少時代を過ごした人特有の考え方なんでしょうね。

食べ物も物もない時代に、

家族で支えあわないと生きていけないような時代に生きたので、

家族に対しての思い入れが強いのだと思います。

家族はこうであらねばという考えに支配されてるんですね。

それが良きにしろ悪しきにしろ、距離感にも反映されるわけです。

しかし、時代と共に家族の形も変わります。

それが良いのかどうかはその都度変化していくので、

変化に合わせる必要があるということです。

そういう自分も、こういった前時代的な価値観の親の元で育ったせいか、

色々な思い込みがありました。

この思い込みはけっこう強力で、至る所で顔を出し悪さをします。

なので、今は、自分の家族観を見つめなおし再構築中です。

コメント