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会食恐怖症の歴史(個人的考察)

会食恐怖症

同じ釜の飯を食うって言葉がありますよね。

他人同士でも生活を共にし、

苦楽を分かち合った親しい間柄の事を言うらしいです。

家族は同じ釜の飯を食うのはあたりまえなので含まないそう。

それはどうなのと思いますよね。

家族だって同じ釜の飯を食うことで家族になっていきますからね。

まぁ、食べてる物はバラバラですけど。

話を戻すと、そもそも他人と同じ釜の飯を食う状況とは?ですよ。

あるとしたら、シェアハウスとか?

だとしてもご飯は別々ですからね。

合宿とか修学旅行とかでもそうなるかもしれないですが、

正直、同じ釜の飯を食ったところで、ですよ。

私は会食恐怖症なのでそもそも人とご飯が食べられないので

適用外ですね。

思うと、給食もある意味、同じ釜の飯を食うという感じですよね。

常々思っていましたが、

この言葉って会食恐怖症がある人を想定してないんですよね。

この言葉が生まれた時には

会食恐怖症は存在してなかったのかもしれないですね。

同じ釜って言ってますから、

少なくとも炊飯器が存在してなかった頃の話ですもんね。

そうなると、会食恐怖症はいつ生まれたんだろうと不思議ですよね?

私は3歳から会食恐怖症なので、

少なくとも40年前には存在しているんですよ。

その頃は給食の指導というものが厳しく

残すな、感謝しろ、という圧力が強かったのです。

おそらく40年前の教師、親は戦後の食糧が無い時代に生まれたか、

戦前戦後の食糧が十分ではない時代の人たちに育てられた人たちです。

食べ物を残すなんてありえない、

腹いっぱい食べられることに感謝しろ、

というマインドなんですよね。

そもそも給食自体が貧困の中から生まれたものですからね。

私は人とご飯を食べられないけれど、

感謝の心はあるし、食べ物を粗末にしたことなどありません。

それでも、吐き気がしてどうしても給食を食べられず残すと

教師や親などは般若のような(私にはそう見えました)顔で

対応してきました。

食べ物を残すやつは非国民扱いでした。

これ、本当なんですよ、

それこそ戦時中の鬼軍曹みたいに非国民扱いするんです。

そう考えると、国全体が貧困状態にあり、

給食がある程度の機能を果たしていたころは

会食恐怖症は存在しなかった可能性がありますよね。

それが、時代が変わり、

給食が本来の機能を果たさなくなり始めたころで、

しかも、給食によって貧困時代を乗り切ってきた人々が

現役で活動をしていた時代、

という条件が揃った時に

会食恐怖症は生まれたと言えるのではないかと思います。

給食は、前提として貧困という背景があるので、

ある程度の貧困が解消された時に、その機能を果たさなくなり、

しかし、長年に渡って給食というシステムがあり続けた歴史があるので

やめることができないんだと思います。

そうやって被害者を出し続けているのかもしれません。

それでも今は教育する側の世代が変わったことで

良くはなっているのかもですが。

今は食育なんて言ってたりしますが、

いやいや、それ、給食の本来の目的じゃないから、

無理やり意味を後付けしないでくれよ、

給食なんて、ただの栄養補給なんだから

と、私は思ってしまいます。

ただ、自分が親になって思うのは、

給食があるので食事の用意をしなくていいという楽さはわかりました。

ここまで色々書いてきましたが、

給食の歴史といっても、単なる私の想像なんですけどね。

皆さんはどう思いますか?

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