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不自由のなかにある自由

うつ

こんにちは、ともです。

私は子供の頃から妄想に悩まされてきました。

ここ10年ほども「家族の捕虜になっていて不自由な身である」

という妄想がありました。

なので、自分には自由がないと思っていたんですね。

しかし、よくよく考えると普通に外出しますし、

普通にスーパーで買い物したりもします。

食べたり飲んだりも普通にします。

あれ、これって別に不自由じゃなくない?

と、自分でもうっすら思っておりました。

そんな時、我が家に来てくださる訪問看護さんから

韓国の徴兵制度の話を聞きました。

てっきり、閉じ込められて訓練させられている、厳しい

というイメージだったのですが、

外出などもできるようで、意外と自由もあるようなのです。

これには目からウロコでした。

やはり徴兵制度ですからそれなりの不自由はあるとは思いますが、

まさに自分と同じではないか!と思ったのです。

不自由の中にある自由、というか。

自由の中にある不自由、というか。

不自由だからこそ見えてくる真の自由ってありますよね。

自分の心なんてまさにそれです。

自由は自分の気持ちひとつだったりします。

それに、人って案外、自由にしていいよと言われると

何していいのかわからなくなりますよね。

種類が豊富だと何が良いかわからなくて

結局定番を選んだりして。

自由も不自由も実はそんなものかもしれません。

そもそも、絶対的に自由な人なんているんでしょうか?

みなそれなりに不自由の中で生活しているのです。

むしろ不自由だから、たまの自由が嬉しいってのもありますよね。

自由すぎても、それはそれで辛いのかもな、と。

かと言って不自由過ぎるのもいやですけど。

月月火水木金金とかブラックなのはどうかと思いますが。

しかし、無限の可能性があっても、体は一つしかないので、

結局1つしか選べないんですよね。

むしろ可能性を絞り込んでいった先にあるものが重要なのかもしれません。

限られてるからこそ、そこに何かを見いだすというか、

いつもは見えないものが見えてくるというか、

自由ってそういうものなのかも…と思ったり思わなかったり。

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